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ホンダ F1撤退、10月日本GP惨敗が引き金に [F1]

>「何であんなに遅いんだ」
☆私も、そう思います。

○F1撤退、10月日本GP惨敗が引き金に
 F1日本グランプリのバックヤードに、ホンダ経営陣の怒号が響いた。
「何であんなに遅いんだ」「いくら金を使えば勝てるんだ」。
10月12日、富士スピードウェイの決勝を走った2台のホンダ勢は、完走15台中13位と14位。
地元開催で2台ともに1周遅れという屈辱的な結果が、撤退を後押ししたことは間違いない。

 だが撤退は10年以上前から段階的に進められてきた。
創業者の本田宗一郎氏が亡くなる1年前の1990年、和製スーパーカーを目指した「NSX」が発売された。
1988年にエンジンを供給したマクラーレンが16戦15勝の金字塔を打ち立てた直後で、F1=スポーツカーのイメージ戦略を前面に押し出そうとした賭けだった。

 しかし「NSX」は在庫の山を築いた。
価格は800万円と当時の日本車で最高ランクだったが、メーター類が量産セダンと同じだったりして、プレミアムカーを期待したファンにそっぽを向かれた。
199年にF1参戦を休止したのは、「NSX」をはじめとするスポーツカーの販売不振が直接の原因だった。

 その後、ホンダはスポーツカー生産を縮小。
ミニバン、コンパクトカーなどの大衆車を主軸に据え、安定した収益を上げる優良企業に生まれ変わった。
後輪駆動のF1マシンやスポーツカーより、コストが安いFF車(前置きエンジン前輪駆動車)が中心。
エンジンは主に簡便なSOHC(F1、スポーツカーはDOHC)。
2005年には象徴的なスポーツカー「NSX」の生産を終了させ、経営の柱を大衆車にシフトし終えた。

 並行して2000年にF1へエンジン供給を再開したが、レースで培った技術を市販車に直接フィードバックできない状態が続いていた。
この時点で、F1は技術開発やイメージ戦略とは無縁の趣味的な活動に変ぼう。
世界的な金融不況以前に、ホンダ車に“F1スピリット”は流れていなかった。
【「クルマ天国」担当・荒牧公哉】
 [2008年12月6日8時25分 紙面から]

http://www.nikkansports.com/sports/motor/news/p-sp-tp2-20081206-437273.html
 
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