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佐藤琢磨(ホンダ)、IRLで自身最高位2位フィニッシュ [F1]

佐藤琢磨(ホンダ)、IRLで自身最高位2位フィニッシュ

☆優勝も夢じゃない。次回は、優勝を。

○元スーパー・アグリ等のF1ドライバーである佐藤琢磨(ホンダ/RLRレーシング)が、22日(日)カナダで行われたIRL(インディ・レーシング・リーグ)第11戦エドモントンで自身最高位となる2位フィニッシュを遂げた。

佐藤琢磨は3位スタート。
レース終盤は優勝したエリオ・カストロネベス(シボレー/ペンスキー)との優勝争いとなったが、惜しくも届かず2位に留まった。
(両車のタイム差は0.9秒)
☆ 2012/07/23

http://www.fmotor.net/f1/index.htm

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佐藤琢磨が今季2度目のPP/インディカー [F1]

☆2度目のポール。
すごいです。
今度は、決勝も優勝を。

○琢磨が今季2度目のPP/インディカー

<インディカー:第10戦>◇23日◇カナダ・エドモントン市中央空港特設コース
 予選を行い、KVの佐藤琢磨(34)が今季2度目となるポールポジション(PP)を獲得。
「本当にうれしい。
市街地コースでもポールポジションを取れたことには、すごく大きな意味がある。
決勝でも思い通りの戦いができるように全力を尽くしたい」と語った。

 佐藤は今季第8戦で日本人ドライバーとして同シリーズ初めてのPPを取ったが、決勝では終盤にリタイアし19位に終わった。
決勝は24日(日本時間25日)に行われる。
 [2011年7月24日19時36分]

http://www.nikkansports.com/sports/motor/news/f-sp-tp2-20110724-809887.html


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ホンダ F1撤退、10月日本GP惨敗が引き金に [F1]

>「何であんなに遅いんだ」
☆私も、そう思います。

○F1撤退、10月日本GP惨敗が引き金に
 F1日本グランプリのバックヤードに、ホンダ経営陣の怒号が響いた。
「何であんなに遅いんだ」「いくら金を使えば勝てるんだ」。
10月12日、富士スピードウェイの決勝を走った2台のホンダ勢は、完走15台中13位と14位。
地元開催で2台ともに1周遅れという屈辱的な結果が、撤退を後押ししたことは間違いない。

 だが撤退は10年以上前から段階的に進められてきた。
創業者の本田宗一郎氏が亡くなる1年前の1990年、和製スーパーカーを目指した「NSX」が発売された。
1988年にエンジンを供給したマクラーレンが16戦15勝の金字塔を打ち立てた直後で、F1=スポーツカーのイメージ戦略を前面に押し出そうとした賭けだった。

 しかし「NSX」は在庫の山を築いた。
価格は800万円と当時の日本車で最高ランクだったが、メーター類が量産セダンと同じだったりして、プレミアムカーを期待したファンにそっぽを向かれた。
199年にF1参戦を休止したのは、「NSX」をはじめとするスポーツカーの販売不振が直接の原因だった。

 その後、ホンダはスポーツカー生産を縮小。
ミニバン、コンパクトカーなどの大衆車を主軸に据え、安定した収益を上げる優良企業に生まれ変わった。
後輪駆動のF1マシンやスポーツカーより、コストが安いFF車(前置きエンジン前輪駆動車)が中心。
エンジンは主に簡便なSOHC(F1、スポーツカーはDOHC)。
2005年には象徴的なスポーツカー「NSX」の生産を終了させ、経営の柱を大衆車にシフトし終えた。

 並行して2000年にF1へエンジン供給を再開したが、レースで培った技術を市販車に直接フィードバックできない状態が続いていた。
この時点で、F1は技術開発やイメージ戦略とは無縁の趣味的な活動に変ぼう。
世界的な金融不況以前に、ホンダ車に“F1スピリット”は流れていなかった。
【「クルマ天国」担当・荒牧公哉】
 [2008年12月6日8時25分 紙面から]

http://www.nikkansports.com/sports/motor/news/p-sp-tp2-20081206-437273.html
 
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2008年F1最終戦ブラジルGP [F1]

☆最後まで、ハミルトンは、また、チャンピオンを逃すのか?
 という展開でしたね。

 優勝してチャンピオンを決めるのが理想だと思いますけど。
 プレッシャーは、予選からかなり感じられたようです。

 来年は、最終戦を待たずに決めて貰いたい。

 来年は、また、レギュレーションが大きく変わるらしい。
 (よく、分かりませんが。)
 どうなるんだろう。

○優勝マッサ、10秒だけの世界チャンピオン
フェラーリのフェリッペ・マッサがトップでチェッカーフラッグをかいくぐった時、世界タイトルを争うライバルのルイス・ハミルトン(マクラーレン)は6番手、この瞬間はマッサが初のチャンピオンに輝いた筈だった。

しかし最後のわずか二つのコーナーでハミルトンはトヨタのグロックをパス、結局マッサから13秒遅れる5位でフィニッシュ、この瞬間にタイトルはわずか1ポイントの差でハミルトンに手に移ってしまったのだ。

レース後マッサは「僕のレースは完璧なものだったと思う。
めまぐるしく変わる困難なすべてのコンディションにおいて、僕はチームと共になすべき仕事をすべてこなした筈。
ドライバーにとってレースとはチェッカーフラッグを受けた時点で終了するもの。
僕はそれを真っ先に受けたのだから、それを誇りに思っているよ。
ハミルトンがグロックをパスしたのは僕にはどうすることもできないことじゃないか。
それは感傷的にもなるけれど、でもこれがレースというものだから。
いまや僕はレースに勝つことも、そして敗れることも十分に学んで知っている。
僕は今シーズンの自分の戦いに満足していると胸を張って言えるよ」と、語った。

http://www.fmotor.net/f1/index.htm
 
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